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해항도시 부산의 일본인사회와 신사

Title
해항도시 부산의 일본인사회와 신사
Alternative Title
Japanese Society and Shinto in Busan(1876-191)
Author(s)
한현석
Issued Date
2010
Publisher
한국해양대학교
URI
http://kmou.dcollection.net/jsp/common/DcLoOrgPer.jsp?sItemId=000002176382
http://repository.kmou.ac.kr/handle/2014.oak/10783
Abstract
開港都市釜山の日本人社会
史的な意味合いを再度考えさせる視点を提供するといえよう。
は、日本各地における神社のみならず、植民地にあった神社が持つ社会
神道政策の展開とともに、またそれとは異なる形態で展開されていた神社の整備の有様
である。

この時期、神社の整備過程で確認できる明治政府の神社・
していた事実

座などの整備過程に深く関
馬出身者が、神社の改建及び祭神の鎮
の時期からそこで生活していた対
く現れる神社の整備が行われていた。ここで注目すべき点は、草梁倭舘
とは異なる地域の特色が強
呑(1910年)まで、居留地では明治政府の意図
係があったといえよう。しかし、釜山の開港直後(1880年)から韓日併
する統制とも密接な関
家の管理下に置くことであった。それは、地域民の生活習慣に対
神道政策を執った狙いとは、地域の小規模の神社や祭神までも国
において国

に述べたように、1868年から、明治政府が日本の国
を確認することができる。

このような事例は開港期釜山の日本人居留地における神社からも確認できる。既
されたとは思えない事実

家に帰
多くの神社がすぐさま国
究(1979)によると、明治政府のいくつかの政策によって、数
な事例から分析した安丸良夫の研
結される過程を多様
家(政策)に帰
が持つ固有の信仰が国
は1914年には約12万社にまで減少した。

それは、日本をはじめ植民地地域における神社も日本政府の支配下に置かれていたとの分析を可能にした。しかし地域社会
家の管理下に置こうとした。その結果、約20万社であった日本の神社数
及びその祭神まで、国
神道政策を執り、地方の小規模の神社の社号
家主導の神社・
合令」等、国

分離令」、1871年の「社格制度」、そして1876年の「小祠廃
点から分析したものである。明治政府は1868年に「神仏
史的観
馬出身者)の活動を中心に社会
して居留民(特に対
と神社に対
究は開港期釜山における日本人社会
本研






抄 録
院東アジア学
大学
海洋大学
と神社



-開港期(1876-1910年)を中心に-



韓 賢 石 韓国
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동아시아학과 > Thesis
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