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일제강점기 부산의 [나병]과 그 대응

Title
일제강점기 부산의 [나병]과 그 대응
Alternative Title
The Politics of Hansen's Disease on Busan in the Colonial Period
Author(s)
김정란
Issued Date
2006
Publisher
한국해양대학교 대학원
URI
http://kmou.dcollection.net/jsp/common/DcLoOrgPer.jsp?sItemId=000002175709
http://repository.kmou.ac.kr/handle/2014.oak/9988
Abstract
この論文は植民地時代における釜山の「癩病(患者)」に対
植民地ともかかわると言えよう。
近代·脱
する否定的な認識は今現在もさほどかわっていない。このような認識の問題は脱
の暴力でもあった。「癩病患者」に対
念による差別であり、「コロニアル都市」に加えられた帝国
」の観
んでいった。これは明らかに近代の以降作られた「身体
に追い込
督府はこのような「癩病患者」に徹底した制裁を加えながら、彼等を周辺
日本の位相を汚す存在として認識されていた。総
秩序の「正常的」な維持と再生産に脅威を加える存在であるだけではなく、帝国
えられた。

以上で確認されたように、植民地時代における釜山の「癩病患者」は社会
的な成果に逆行する差別·隔離政策が植民地時代を通じて患者に与

する医
染性が微弱であるという「癩病」に関
性」を得ることができる。また、伝
は「正当
する不合理で扇動的な対
いて、患者に対
落」による病という一種のスティグマが働
的堕
まれていった。なお「癩病」が「社会
がるものであった。そのため、「癩病患者」には追放と拒否という形の苛酷な分割線が引かれ、患者たちはだんだん周辺
面にも繋
の体
面は帝国
的秩序を保つという名分で釜山の「癩病患者」は植民地時代を通じて徹底的に疎外·排斥されてきた。日本の植民政策の「要」ともいわれた釜山の体
質的な救癩が形骸化していく時期でもあった。

以上のように、「コロニアル都市」としての釜山の位相や社会
制の影響をうけて「釜山癩病院」の実
時体
督府からの制裁の露骨化や本格的戦
する総
使の活動に対
容所に移送される。また、外国
化される。釜山の多くの「癩病患者」も小鹿島の収
的隔離主義」が強
督府が「癩病」の政策にイニシアチブを取り始め、積極的な隔離政策を展開していく時期である。特に、1930年代は皇室の救癩事業への支援もあり、小鹿島を中心とする「絶対
性」を得ていく。

第三章の1930年代以降は、総
化や小鹿島への移送政策などが「正当
する取り締りの強
調され、それとともに釜山地域の府民的感受性が刺激される。その結果、釜山に存在した患者に対
する忌避が官や言論によって強
生など「癩病」に対
連した犯罪の発
が始まった時期である。この時期は「癩病患者」と関
する行政的な対
秩序と衛生整備の一環としての「癩病」に対
使策及び社会
宣教
外国
化されていなかったことが確認できる。

第二章の1920年代は、対
はまだ具体
督府の行政的な対
使が救癩活動を主導したのに反して、総
人宣教
討した結果、この時期は外国
院」の誕生について検

容は以下のとおりである。

第1章の1910年代は、「釜山癩病院」と「官立全羅南道慈恵
性」を獲得し、彼等を規律していった。これは植民地時代における「コロニアル都市」釜山に存在していた「癩病患者」にも同じであった。

本論の内
する統制に「正当
力は患者に対
象とする。支配権
然彼等を忌避の対
される。

「癩病(患者)」につけられた汚名は、当
性」ともいうべきものが付与
的な差別には一種の「正当
に漫然する。結局、彼等に加えられた社会
も絡んでいるという認識は社会
的な欠陥
染病であり、「業病」とか「天刑病」ともいわれる汚名を持っていたからである。「癩病」にかかっている人は道徳
もうとする。特に、「癩病患者」は分割線を引くのに最適なものであったと言える。「癩病」が伝
部に追い込
のため、「正常なもの」と「非正常なもの」の間に分割線を引き、「非正常なもの」に徹底した統制や規律を加えながら彼等を周辺
家の運営
率的な国
力は効
スとしている。支配権
き掛けてきたのかをベー
力を働
家権
展のために、如何なる形で国
の秩序維持や発
家が社会
民国
討した。

理論的には近代の国
を時期別に検
するの対
日本の植民政策が連動して現われる「癩病」に対
究では「コロニアル都市」としての釜山の性格と帝国
たらない。そこで、この研
究は管見のところ、未だに見当
する管理への要求は官民を問わず絶えずに提起されてきたのである。

ところが、釜山を中心とした「癩病」の研
影響を及ぼすものとして認識されていた。植民地時代を通じて釜山の「癩病患者」に対
ジに悪
時「癩病患者」は府民(=「良民」)の健康はもちろんのごとく都市のイメー
する管理も欠くことのできない懸案であった。当
に放置されてきた「癩病患者」に対
面を保つためには、都市内
日本の「コロニアル都市」としてその体
である帝国
門であり、多くの日本人の居住や移動の空間でもあった。衛生を始めとする釜山の都市環境の管理は不可欠なことであったと言えよう。

釜山が文明国
日本の「コロニアル都市」としてその役割を果たしていた。釜山は日本の大陸進出の関
を展開していく1930年代以降、三つに分けている。

本論文の問題提起は次のとおりである。

植民地時代、釜山は帝国
督府が「癩病」政策にイニシアチブを取るようになり、積極的な対
が模索され始める1920年代、それから総
督府の行政的対
象とする時期は癩病院が誕生する1910年代、朝鮮総
討したものである。対
を各時期別に分けて検

的な対
する政策的、また社会
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동아시아학과 > Thesis
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